JPA/PCL 第7戦 高嶺カップ2010 大会レポート

開催地 長野県平谷村高嶺山パラグライダーエリア

主催 JMB中部パラグライダースクール

レポート 鈴村恵司 

【一日目 10月23日】
レースと名の付く競技なのだから競う相手は当然、自分以外の選手であるべきだ。しかしこのパラグライダー競技は時として(いや今年は“しばしば”か)気象条件そのものと戦わされる場合がある。そして今回の「高嶺カップ2010」に参加した選手も難しいコンディションとひたすら格闘することとなった。(一般向けには暴風雨でのゴルフ大会とでも説明すれば良いのかも。)

けっして悪いとは言えない天気予報のもと、オープンクラス:38名、チャレンジクラス:26名が長野県南部に位置する平谷村高嶺山エリアに集合した。5キロも西へ行けば岐阜県、10キロちょっと南下すれば愛知県、まさに長野県南部の地である。
選手を迎えるスタッフは「JMB中部とんびいず」のメンバの面々、そしてスクール間で親交の厚い愛知県のパラグライダースクール「スカイトライ」のメンバも合流している。


朝からの雲の多い天候の中、テイクオフでの開会式、ゼネラルブリーフィングと大会運営は粛々と進行する。ソアラブルなコンディションが本当に訪れるのか、選手、スタッフ、共に気もそぞろといったところ。タスクコミッティは、昨年のタスクを基本にさらに安易にしたものを設定し“その時”が来るのをまった。昨年はオープンクラスで18名、チャレンジクラスで9名のゴール者が出ている。


雲が薄くなり日射量が増した11時過ぎにTO前でウインドダミーがソアリングを始め、オープンクラスで11時30分のウィンドウオープン、12時00分のデパーチャーオープンのエラップスタイムレースが開始される。時間の経過とともによりソアラブルになって行くだろうとの予想でチャレンジクラスの時間設定はオープンクラスの20分遅れで設定されている。
そしていつものようにコンペティショングライダーを擁する強者達がレースを引っ張る。雲底待機に成功した数機が12時のデパーチャーオープンに合わせてスタートパイロンに向かってレースを始める。




スクはTOのある高嶺山側の三角パイロンを3周し、国道をまたぎLDのある桐山側の往復パイロンを3往復するもの。チャレンジは三角をサイズダウンし往復が2回。
トップグループが三角パイロンの2周目に入ったところで、先に述べた戦う相手が気象条件に入れ替わって行った。オーバーキャスト、雲量増、リフトがなくなる。グライダーの高度がどんどん落ちて行く。レースどころではない、飛ぶだけで精一杯だ、選手の声が聞こえてきそうだ。(但し、これは高嶺山側の話、実は桐山側はソアラブルな条件を維持していた。)
高嶺山側のグライダーが一掃されたあと、日射復活、セカンドステージ到来。リフライトを待ちかまえた選手がTO。しかし、30分程で再度オーバーキャスト。またもグライダーがいなくなる。


1時30分を越え、三度目の日射条件が訪れサードステージが開幕、するといつの間にかブーメラン7、ブーメラン5、アイスピーク3が高嶺山の谷間でセンタリングを始めている。ファーストフライトで高嶺山から逃げて桐山側で空中待機していたまさに強者、小幡、薬師寺、藤川の3選手である。ここまでで、すでにあっぱれなのだが小幡選手はさらに高度を稼ぎ、駒を進め、ついには2時過ぎに本日唯一のゴール者となる。いわゆる渋い条件の中32キロを完走。驚異的な粘り、という表現は単に重さや、つらさに耐えているような静的な印象があり適正ではないように思える。わずかのリフトを感知し、細やかなグライダーコントロールを行い、瞬時に次の移動を判断する。きっとココロもカラダも精密機械のように動き続けていたに違いない。
オープンクラスのシリアル機では廣川選手がサードステージの条件を使って14キロを飛び、薬師寺選手をも越えた。
チャレンジクラスは、やはりサードステージをうまく使い切った宇野選手が12キロを飛んでタスクトップに輝いた。この人、今年、PNLにもスタッフとして現れる。どの大会でも見かける人だ。
オープン、チャレンジ両クラスとも、半数以上がミニマム距離を越えられなかった条件でありディクオリティはオープン:0.195、チャレンジ:0.125。選手全員に均等な条件が与えられた訳ではない故のGAP計算値。それぞれの勝者が手に入れた得点はわずかなものとなった。もちろんだからといってゴールの栄誉は損なわれるものではなく、むしろ際だって見える。


夕方には、ベーシックセミナーを開催。JPAパラグライダー・レスキュー認定検定会の講師をつとめ、レキューBOOKの校正も手がけたフリークライマーの南裏健康氏を迎えての講演である。内容は、飛ぶ人としての覚悟についてから始まり、1990年のトランゴ・タワーの新ルートでのソロ完登、そこからのパラグライダーでの滑空経験。さらには世界のクライミング事情の紹介など、興味深い話を数多く頂くことが出来た。
そして夜の交流会。大会本部にも使用させて頂いているレストラン将軍を借り切ってのパーティ。今日の苦心、明日への期待、明日の天気、選手の話題は尽きない。

【二日目 10月24日】
まぁ要するに曇り空である。低気圧も近づいており雨の降り出しも懸念されるところ。まさかのワンチャンスが訪れることを期待して、今日の気象条件(南東風、強め)に合わせたタスクを設定して冷たい風の吹くテイクオフで待つ。雨雲レーダーでは雨雲は北に抜けているようであるが、気象安定でソアラブルになる兆候は見られない。
結局、10時20分にタスクをキャンセル。フリーフライト、送迎車、思い思いの方法での下山となった。実際、フリーフライトは、ほぼぶっ飛び。競技になる日ではなかった。
最後にフライトしたのは、小幡選手。なぜか南の尾根でセンタリングして高度を維持している。まったく、この人ときたら、である。

雨の降り出しはまだ先のことと思って野外の表彰式を設定したら、開始直前に霧雨となった。やれやれ。
賞品は大会実行委員長である片桐校長、手ずからの“鳥のまるごと薫製”やら“とれたて野菜”やら“リンゴ”やら。さらにはシャンパンシャワーなんてイベントも。
来年も開催されるそうです。いい天気になるといいなぁ。
さて2010シーズンのJPAチャレンジリーグも大詰め、2週間後に宇都宮大会、まさにファイナルである。